どこまで荒さを許容するかという観点

花梨瘤材 木の器

木味が生きるもの。
木味が引き立ったものというのは、明確な線引きができません。
見る人の主観によるところが大きいです。
そのため、何を持って木の味と言えるのかは、極端にいうと
作り手にとっての表現
であり
その作り手たちが思う、引き立った形という側面があります。

そうした良し悪しは、一見すると主観的なものに感じますが
これまでの経験から、多くの人に通じるものになり得ると感じています。

造り、技術の高さ、精巧さが木味になることがあれば、
つたなさや荒さ、いびつさが、その木の味に馴染むこともあります。
その意味で、不完全に見える形が、結果として面白いものになることがあります。

少し視点を変えると、ものづくりのプロセスの機械化の流れはこれから先さらに加速し、
造形の完璧さや清廉、均一であることがますます当たり前になってくるはずです。
そうした背景を踏まえてみた時に
荒さが、一つの面白さとして、受け入れられるのではないかと考えています。

加工の技術の習得、向上はもちろん大切です。それとは別に、木味に馴染む荒い造形は、偶然の結果で、同じものを作ることができないものです。

まなこの音では、一見すると不完全に見えるこうした荒さを味として、ポジティブに捉え、同じものは作ることができない偶然の産物として、取り扱いを行っていきたいと考えています。

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