江戸時代に生まれた「銘木」という言葉の前にあったもの

銘木という言葉の前にあったもの

―木目の美をめぐる、日本古代の感性と評価―

はじめに

「銘木」という表現が一般に使われるようになったのは、江戸末期から明治初期にかけてのことだと言われています。
一説によれば、東京の材木商が「銘木屋」と掲げた看板が、その呼称の始まりとも伝えられています。
明治期に入ると、西洋化の波とともに大型の木工機械が導入され、鉄道や運送網の整備も進みました。
これにより、それまで運搬が難しかった大木や珍しい木材が各地へと広く流通し始めました。

その結果、もともとは貴族や皇族など限られていた
「木材を鑑賞する美意識」や「特別な木」に対する価値観が、次第に社会に広がっていきました。
そうした流れの中で、特別な木を呼び表す共通の言葉が必要とされ、
「銘木」という語が定着していったと考えられています。

当時はすでに、「銘刀」「銘茶」「銘菓」といった言葉に見られるように、
優れた品に「銘(名)」を加えて価値を示す表現がありました。
その流れで、選び抜かれた木材にも「銘木」という呼び名が生まれ、
広く用いられるようになっていきました。

本記事では、この「銘木」という言葉が生まれる以前、
人々がまだその言葉を持たなかった時代において、
どのように「銘木のような存在」を感じ、価値を見出していたのかを、時代を追って考察していきます。

縄文~古墳時代―木材と霊性

縄文時代の日本人は森の恵みとともに生き、木を神聖視する文化を育みました。
石川県の真脇遺跡には、巨木の柱を環状に立てた跡が残されています(十本柱の環状列)。
祭祀を行った痕跡が残されており、大樹そのものが神の宿る依代とされていたようです。
こうした時代には木目の美しさよりも、木そのものの大きさや生命力が重視されましたが、
すでに木材への特別な思いは存在していたと考えられます。

古墳時代には、木のもつ姿や質感に加えて、美しさや樹種の違いにも関心が向けられていたことを裏付ける逸話が残っています。
仁徳天皇がイチイ(一位)の木で作った笏(しゃく)の美に感銘を受け、
この木に正一位の位を授けたという話があり、「一位」の木名の由来になっています。
木材が美しいという理由だけで尊ばれる感性は、少なくとも古墳時代には存在していたということです。

飛鳥~奈良時代―仏教伝来と木目の美的評価

飛鳥時代に仏教が伝来すると、香木や硬木など海外の珍しい木材が日本にもたらされ、工芸に新たな影響を与えました。
仏像彫刻では白檀(サンダルウッド)など香り高い木が用いられ、宗教的な意味合いを持ちました。
また寺院建築や調度品にも良質な木材が求められます。

奈良時代になると、中国(唐)からの遣唐使を通じて
紫檀(したん)や黒檀(こくたん)、鉄刀木(たがやさん)といった熱帯産の硬木(いわゆる「唐木」)が伝わりました。

黒檀は当初「万能薬」として輸入されましたが、
やがて貴族社会で寺院の建材・家具、楽器の素材として重宝されるようになります。
これらの木材は硬質で磨くと光沢が出るため美術工芸品に適し、
その深い色合い(紫檀の紫色、黒檀の黒色)は高貴さや荘厳さの象徴となりました。

特に奈良時代の宮廷や寺院では、木目模様に美を捉える御物が残ります。
正倉院に遺された宝物には、意匠として珍しい木目を持つ材が積極的に採用されています。
欅(けやき)の玉杢(たまもく)と呼ばれる渦巻状の木目を持つ板は赤い染料と漆で仕上げられた厨子に使われ、
その美しい杢目文様が強調されました。
この「赤漆文欟木御厨子」は欅玉杢の木目を活かした代表例で、
木目そのものを鑑賞する美的感覚が奈良時代に既に存在したことを物語っています。

正倉院宝物にみる木材へのまなざし

奈良時代の皇室ゆかりの宝物が収められた正倉院には、当時最高級とされた国内外の木材が数多く使われています。
たとえば縞模様の黒柿(くろがき)、高貴な紫色を湛える紫檀、そして香木の沈香(じんこう)などは正倉院宝物を代表する素材です。
これらの樹種による宝物は古代から神聖な意味があり、宗教的な儀式で使用されてきたと考えられています。

黒柿は柿の木の突然変異で生じる極めて稀少な材で、その独特の黒い縞模様ゆえに美術工芸品に用いられました。
一説には、当時中国や朝鮮から伝わった名品に使われていた黒檀・紫檀の代用品として黒柿を用いたともされますが、
それほど希少なため皇族のような立場でしか使えないものになっていたのではないかとも言われます。

周辺文化とのつながり

古代日本で特殊な木材が尊ばれた背景には、周辺地域からの影響も見逃せません。
中国では皇帝や貴族が香木・硬木を愛好し、唐代には木画工芸をはじめとする高度な木工芸が発達していました。
朝鮮半島でも伽耶・新羅などを通じて木工技術や材料が伝えられ、
飛鳥時代の日本に工芸的刺激を与えています。

東南アジアは紫檀・黒檀など銘木の原産地であり、その価値観(例えばチーク材や黒檀を王宮の調度に用いる伝統)は間接的に日本にも伝わりました。
奈良朝廷の貴族たちが唐の工芸品や仏教文化に触れる中で
「木材=単なる建材」ではなく「模様や香りを持つ貴重な素材」として認識する素地が醸成されていった可能性があります。

その結果が正倉院宝物に結実し、日本文化がこの時代に木材美への眼差しを深めたと考えられます。

まとめ―言葉になる前の銘木観

銘木という言葉が一般的に使われるようになったのは江戸時代以降だと考えられています。
しかしその概念、つまり美しい模様や色合い、香り、希少性といった価値を木に見出す感性は、はるか以前から日本人の心に根付いていました。

時代が下り、加工機械の発明や流通網の整備されるようになると、そうした希少木材が
市場に流通するようになります。
そこで、必要にせまられて「銘木」という呼び方が始まったとされています。

遺物や記録を読み解くと「銘木」という言葉になる前から、
それらは特別な木として畏敬の念とともに貴重品として扱われていたことがわかります。
私たちにとっては、これらは「古代の人々」が残した木の遺産ですが、
それらに触れたときに感じる感覚は、古代の人々も私たちも、

もしかするとそれほど違ったものではないのかもしれません。

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