黒檀とはー「万能薬」とされた歴史的背景

黒檀が「万能薬」とされた歴史的背景

黒檀(エボニー)は極めて硬質で漆黒の木材ですが、
歴史的に世界各地で薬効や神秘的な力があると信じられ、
「万能薬」のように扱われてきました。
その背景には、黒檀が多種多様な用途で用いられたことや、貴重さゆえの神秘性があります。
以下、黒檀の具体的な薬用例、地域ごとの使われ方の違い、
伝統医学の文献での記述、宗教・呪術的利用、「万能薬」と呼ばれた理由について詳述します。

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黒檀 万能薬の歴史と神秘

約10分で本記事の黒檀の解説をざっくり掴めます。

黒檀の具体的な薬用利用|飲む・塗る・焚く・身につける

黒檀は様々な形で薬として用いられました。
内服薬としては、粉末にして飲む用法が各地で記録されています。
たとえば中国では、李時珍の『本草綱目』に
「黒檀(烏木)の木片を粉末にして温めた酒で服用すれば、解毒作用があり、霍乱(激しい嘔吐と下痢を伴う病、コレラ様疾患)を治す」とあります。

同様に、インドや中東でも黒檀の木部や樹皮を粉にして飲み物に混ぜ、下痢や消化不良の治療に用いた例があります。
欧州でも古代ローマの博物学者プリニウスが、黒檀の鋸屑(おがくず)は眼病の特効薬であり、
黒檀の木の髄を酒石(ワインの一種)で湿した砥石で擦り下ろしたものは目の翳を晴らすと記録しています。
さらに黒檀の根を水で調合すると白斑(白内障様の眼の斑点)を治し、
他の生薬(ドラコンキュラスの根や蜂蜜)と合わせれば咳にも効能があると述べています。
インドのアーユルヴェーダや民間療法でも、黒檀の樹皮や実を煎じて下痢や赤痢に飲ませたり、
毒蛇に咬まれた際の解毒剤の一部として投与したとの伝承があります。

外用(塗布)としても黒檀は利用されました。
古代ローマでは上述のように黒檀粉末を眼に塗って眼病を治療しました。
中東のユナニ医学では、黒檀の微粉末を「ブルーダ・アーブヌース」と称し、
目薬・アイパウダーとして白内障や角膜障害に用いることが重要な治療法として推奨されていました。

8世紀の偉大なユナニ医学者イーサー・ビン・クハルも自著『タズキラトゥル・クハレイン』で
黒檀粉の点眼を詳述しています。
また、アーユルヴェーダでは黒檀の樹皮を乾燥させたものを歯磨きやマウスウォッシュに用い、歯茎を強くし口内を清潔に保つ伝統がありました。

インドでは黒檀樹皮の収斂作用を利用して傷口や潰瘍に貼付し治癒を促す民間療法も伝わっています。アフリカ諸地域(例えば西アフリカや東アフリカ)では、
黒檀の近縁種(アフリカ黒檀 Diospyros mespiliformis 等)の葉や樹皮の煎液を外傷や潰瘍に塗る治療法が古くから行われ、
傷の治癒や腫れの軽減に効果があるとされました。
さらに煎液は皮膚の癩病(ハンセン病)や梅毒性の潰瘍にも外用され、
その抗菌作用が期待されていました。

一方、煙や香として焚く用途については、
黒檀自体は芳香を放つ木ではないものの、燃やすことで邪気を払うといった民間信仰も一部に見られます。
中国では黒檀を含む香木を薫香に焚いて病人の部屋を清める風習があったとの記録がありますが、
一般的ではありませんでした(むしろ黒檀は燃やすより工芸材料に用いられることが多かったようです)。
ただし同じ黒い木として、落雷で炭化した黒檀(雷擊木)を魔除けの護符として燻すような俗信も伝わっています(※出典不詳)。
焚く用途は限定的でしたが、身につける用途は広範に広がりました。
黒檀で作られた装身具やお守りは、病気や災厄を遠ざけると信じられました。
例えば仏教圏の日本・中国では黒檀製の数珠(念珠)が珍重され、身につけることで精神を落ち着かせ邪気を払うと言われました。
またヨーロッパでも中世以降、黒檀細工のロザリオや十字架が作られ、「魔除け」として携帯された例があります。
黒檀はその重厚な質感から「邪悪なものを寄せ付けない力」を持つと見做され、
肌身離さず持つことでお守りにする習俗が各地で見られたのです。

黒檀の非常に硬く緻密な木材ブロック。
古来、その腐りにくさと重さから不老長寿や抗毒の力があると信じられ、器具や護符にも利用された。
黒檀は水に沈むほど比重が大きく、滑らかな黒い光沢を持つことから特別な霊力を宿す「霊木」と考えられた。

各地域における黒檀利用の違い

歴史を通じて黒檀の利用法や重視された効能は地域によって異なりました。
以下に主要な地域ごとの特徴をまとめます。

・インド(アーユルヴェーダと民間療法):
インドでは黒檀は「テンデュ(Tendu)」あるいはサンスクリット名「トゥンビ」として知られ、
必ずしも代表的生薬ではないものの、一部で薬効が伝承されました。
アーユルヴェーダの文脈では黒檀は Diospyros 属の木として消化器系や皮膚病への効果が記述されています。
例えば樹皮は収斂作用と抗炎症作用を持ち、歯茎を強化し口内炎を防ぐとされ、
未熟な果実や葉は下痢や赤痢(アメーバ赤痢など)に対する民間薬になりました。

また蛇毒解毒や寄生虫駆除などへの効果も信じられ、黒檀は毒蛇咬傷時の解毒剤の調合に加えられることもありました。
アーユルヴェーダ薬理では黒檀は苦味と甘味を併せ持ち、整腸・駆風(胃腸のガスを散らす)・下剤・強精・造血などの作用を有すると伝えられています。
ただしインド全体で見ると、黒檀は珍木で高価だったため日常的な薬草ではなく、
主に地方の伝承療法や一部の処方に限られました。

中東・中央アジア(ユナニ医学):
ユナニ医学(古代ギリシャ起源のイスラム圏伝統医学)では、黒檀は「アーブノス/アーブヌース (Abnus)」と呼ばれ古くから薬用に供されました。
特に眼科治療において重要な地位を占め、
磨り潰した黒檀木粉(Burada-e-Aabnoos)は白内障や眼の濁りを除去する目薬・点眼薬として推奨されています。
8世紀の眼科医イーサー・ビン・クハルが黒檀を白内障治療に用いた記録があり、以後のユナニ医学書にも黒檀の眼病への適用が繰り返し記されています。

またユナニの文脈では黒檀は心臓を強壮する作用があるとも言われ、
適量を服用すれば心拍や主要臓器の働きを高める強心薬になるとの記述も見られます。
さらに、粉末を蜂蜜などと混ぜて咳止めシロップに加えたり、
他の生薬と合わせて胃腸薬や解毒剤として処方された例も伝わります(黒檀は温性で胆汁質を鎮め、毒を制するといった表現がなされます)。
ユナニ医学では四性理論に基づき薬物を評価しますが、
黒檀は「乾性・温性」の特質を持ち、湿潤過多の状態を改善すると考えられました。
(※古典の具体的な四性分類の出典は未確認ですが、そのように推定されます)

・東アジア(中国):
中国において黒檀(烏木)は、古くは材料・香木として知られていましたが、
医薬としての記録は明代以降とされています。
明代の本草学大全『本草綱目』(1596年)に初めて正式に登場し、「甘・鹹で平(性質は平和)、無毒」と薬性が分類されています。

李時珍は黒檀を「海南島、雲南、および南蛮の地に産する。
葉は棕櫚(シュロ)に似て、木質は漆黒で重く堅く、箸や器物を作ることができる」と述べ、
薬効として「解毒に良く、霍乱による吐瀉(嘔吐と下痢)を治す」と記しました。
服用法も具体的に「木片を削り粉末にして温めた酒で服す」と示されています。

このように中国伝統医学では黒檀は解毒剤・下痢止めとして位置づけられ、
特にコレラが繰り返し流行した時代には民間で黒檀粉を飲ませる習慣も生まれたようです。
さらに民間信仰では、黒檀は不朽で香気を放つ霊木とされました。
「黒檀は地中に千年埋もれても腐らず、淡い幽香を放つ。それゆえ邪気を祓い福を招く」
(「烏木蔵地千年不腐,且多有淡雅的幽香,故能辟邪納福」)と信じられ、
高貴な棺桶や工芸品に用いることで亡骸や家屋を悪霊から守る効果があるとされました。
実際、家に黒檀の塊が半片でもあれば財宝一箱にも勝る(「家有乌木半方,胜过财宝一箱」)という諺もあり、
薬効のみならず魔除けの宝として珍重されたことが窺えます。

日本にも中国経由で黒檀の薬効知識が伝わり、江戸時代の本草書にも「烏木」の項目が設けられています。
貝原益軒『大和本草』(1709年)や、江戸後期の『本草綱目啓蒙』にも李時珍の記述を引き写す形で「烏木ハ解毒に良し」と収載されました。
もっとも、中国と違い日本では黒檀は輸入に頼る貴重品であったため、実際に薬として用いる機会は稀でした。
主に茶道具や工芸、仏具(お念珠など)に加工され、その霊験を信じて身につける程度に留まったようです。

日本:
日本列島には黒檀の自生はなく、古来より南方からの輸入木材でした。
平安時代には「黒檀(こくたん)」の名が文献に現れ、唐物の高級材として知られました。
医薬に関しては、中国伝来の本草学を通じて黒檀の薬効も伝わりました。

国内最古の医学書『医心方』(984年)や平安期の『本草和名』(918年頃)には
黒檀の直接の記載は見当たりませんが(当時未紹介)、江戸時代に入ると本草書で紹介されています。
前述のように『本草綱目』の知識を受け、江戸後期の蘭山『本草綱目啓蒙』や、
幕末の宇田川榕菴『植学啓原』などが黒檀の薬効を解説しています。
「甘平にして毒無し、霍乱を治す」等といった文言が写され、概ね中国と同様の解説でした。

しかし実際に日本で黒檀が薬剤として盛んに使われたという記録は乏しく、
むしろ工芸的・宗教的価値が前面に出ています。
特に仏教では黒色は魔を退ける色とされ、黒檀製の仏壇具、念珠、鉦(かね)の撞木などが用いられました。
江戸期の民間信仰でも、黒檀の小片を懐に入れて旅に出れば災難を避けられる等の言い伝えがあり、
薬効というより護符・霊木としての位置付けが強かったようです。

ヨーロッパ:
ヨーロッパでは黒檀は古代より珍重されましたが、その用途の主流は家具・装飾材でした。
医学的には、古代ローマのプリニウスが黒檀の効能を5つ記録しているのが注目されます。
プリニウスは「エジプトにも産しない外来の木ではあるが、その粉末は眼病を治す特効薬であり、
木の髄を摩下ろせば目の膜(翳)を払う。
根を用いれば眼の白斑を治し、他薬と調合すれば咳にも効く」と述べ、
黒檀を眼科薬・去痰薬など広汎に利用できる薬木と位置付けました。

中世ヨーロッパでもこの古代知識は細々と伝わり、
修道院薬草書などに黒檀の眼疾治療効果が言及されることがありました。
ただしヨーロッパ中世では黒檀そのものの入手が困難だったため、
薬として広まることはなく、むしろ伝説的な解毒グッズとしての側面が強まりました。
16〜17世紀には「黒檀の杯」が登場します。これは黒檀で作られた杯で、
毒入りの飲み物を注ぐと杯が割れる、すなわち毒を検知・中和すると信じられたものです。

当時、女王エリザベス1世が独角獣の角(実際はサイの角やセイウチ牙)で作ったカップを用いて毒殺を防いだ逸話が知られますが、
黒檀の杯も同様に王侯貴族のお守りとして用いられた記録があります。
これは科学的根拠のない俗信ですが、それほどまでに黒檀には「あらゆる毒を祓う魔力」があると考えられていたのです。
ルネサンス期以降、黒檀は「東洋からもたらされた奇跡の黒い木」として東方趣味の文献にもしばしば登場し、
その薬効・魔除け効果が半ば神秘譚として語られました。

アフリカ:
黒檀の原産地の一つであるアフリカでは、古来よりその現地種が伝統医療に活用されてきました。
西アフリカや東アフリカに分布するアフリカ黒檀(African ebony, 学名 Diospyros mespiliformis 等)は、
現地の部族医学で極めて汎用性の高い生薬でした。
マラリアや発熱性疾患に対して根・樹皮・葉の煎じ薬を内服し、
実際に熱病(おそらくマラリア熱)を下げる効果があるとされました。

またその煎液や粉末は梅毒や淋病など性病の治療にも服用され、
寄生虫駆除(駆虫薬)や虫下しとしても用いられました。
樹皮は咳や気管支炎、結核の民間療法薬であり、
粉末を蜂蜜に混ぜて飲むことで慢性の咳嗽を和らげたと報告されています。
さらに興味深いのは、黒檀は外用薬としてもアフリカ各地で万能に使われたことです。
樹皮の煎じ汁で傷や火傷を洗浄し、葉や樹皮をすり潰したものを腫物や潰瘍に貼付すると、
傷の治りが早まると信じられました。
家畜の治療にも黒檀が使われ、牛やヤギの寄生虫病・皮膚病に樹皮を調合した薬浴が施された例があります。
このようにアフリカでは黒檀科の諸樹木が「一家に一本あれば医者いらず」とも称されるほど幅広い治療に使われており、
その伝承が他地域の黒檀万能観にも影響を与えた可能性があります。

伝統医学の文献における黒檀の記述

上述した各地域の利用法は、それぞれの伝統医学書や本草学に記録されています。
主要な文献上の記述をまとめると次の通りです。

中国本草学: 『本草綱目』における黒檀(烏木)の記載は極めて簡潔ですが重要です。
「甘・咸・平、無毒。解毒を主治し、霍乱吐利(コレラによる嘔吐下痢)を治す。
木片を取って屑となし末と為し、温酒で服す」とあり、
黒檀の薬能を解毒剤・止瀉剤として明確に位置づけています。
この記述は17世紀以降の中国・日本の本草書で踏襲され、黒檀=解毒剤というイメージを定着させました。

また『南方草木状』などでは黒檀の形態(高さ七八丈の大木で色は真黒、水牛の角の如し)も説明され、
薬材としてよりも希少な南方の巨木という文脈で語られています。
宋代以前の本草経典(例えば『神農本草経』や唐代『新修本草』)には黒檀の記載がなく、
明代になって薬物の範囲が広がる中で初登場した点も、黒檀が当時「新しく発見された薬効材」だったことを示唆します。

アーユルヴェーダ文献:
インドの古典的医書(チャラカ・サンヒターやスシュルタ・サンヒターなど)には黒檀そのものの明記は見られません。
ただし近縁種を含む文脈での記載や、後世の薬草目録(ニゴントゥなど)には名前が登場します。
近代のまとめでは、黒檀は「苦味・渋味を持つ収斂薬であり、カパ(粘液質)とピッタ(胆汁質)を鎮静する
というアーユルヴェーダ的性質が与えられています。

具体的には整腸(下痢止め)効果、消炎効果、傷の治癒促進、強壮作用などが伝統的に知られていたとされ、
19世紀以降のインド薬草誌にも黒檀の樹皮を含む処方例が散見されます。
また黒檀の古名「Tinduka(ティンドゥカ)」は実は柿属全般(特に Diospyros malabarica など別種も含む)を指す場合があり、
文献によって混同があります。いずれにせよ、アーユルヴェーダの体系では黒檀は辺縁的ながら渋味の強い治療薬として位置付けられていました。

ユナニ医学文献:
ユナニ医学では、イブン・シーナー(アヴィケンナ)の『カーヌーン(医学典範)』などで黒檀が触れられています。
イブン・シーナーは黒檀を「アブノス」として解毒作用があり、胆汁の過剰を収め、眼の浄化に良いと述べています(※原典の該当箇所は翻訳要参照)。
また13世紀の著名な薬物誌『イブン・アル・バイタールの薬物大全』にも黒檀が登場し、
「眼薬として粉末を用いると白翳を除く」ことや「臓腑を温める」といった効果が列挙されています。

(アラビア語名 Abnus として言及)。上述のイーサー・ビン・クハルの専門書は眼科学の書ですが、
そこでも黒檀粉の調剤法など詳細に記され、ユナニ医学における定番の眼科薬であったことが裏付けられます。
ユナニの理論では黒檀は「第二程度の温性・乾性」を持つとされ、これは体内の冷えや余分な湿を取り去る薬剤として評価されたことを意味します。
これにより、黒檀は解毒・眼病以外にも冷えによる下痢や関節痛(風湿)などに応用されることもありました。
(具体例として16世紀のユナニ薬方集に、黒檀を他薬と混ぜてリウマチ様の痛みに塗布する軟膏の記載があります)

欧州の薬草書:
プリニウスの『博物誌』以降、中世ヨーロッパの薬草書にも黒檀 (Ebony) がしばしば登場します。
例えば12世紀の修道士アルベルトゥス・マグヌスは黒檀の性質について「非常に乾いて冷たい性質をもち、毒に対抗する」と記しました(四元素説に沿った表現)。
これはユナニ医学の影響を受けた記述ですが、ヨーロッパでも黒檀が解毒剤とみなされていたことがわかります。
また、中世後期の薬局方では黒檀そのものは収録されなくなりますが、
ルネサンス期のエットーレ・ディ・カステルッチョの著書には
「黒檀の粉末を卵白に混ぜた塗布剤が眼の腫れ物に効く」などの処方が載っています。
つまりヨーロッパでは黒檀は主に民間伝承の薬であり、公式の薬物リストには少ないものの、
知識人や探検家を通じてその万能薬ぶりが語り継がれました。

黒檀の宗教・呪術的利用

黒檀が「万能」のイメージを得た背景には、その宗教的・呪術的な扱いも大きく影響しています。
各地で黒檀は単なる薬効以上の「聖なる木」「霊力を宿す木」と見做されてきました。

東アジアでは黒檀はしばしば「霊木」と呼ばれました。
中国では前述のように「千年不腐の聖樹」と信じられ、特に地中から掘り出された古い黒檀(陰沉木)には霊験が宿るとされました。
長い年月土中にあって黒く変成した黒檀は邪気を吸い取り、持ち主に福をもたらすと考えられ、風水的な護符や高級家具の材として珍重されました。

「家に黒檀があれば家運隆盛」「黒檀の家具は邪を祓う」との言い伝えが広まり、
実際に清代の富裕層は黒檀の屏風や箪笥を魔除けとしても所有しました。
また道教や仏教の儀礼でも、黒檀の短冊や牌に祈祷文を刻んで身につける習俗がありました。
黒檀製の数珠は煩悩を断つ力があるとされ、僧侶のみならず庶民にも広まって現在でも人気があります。

インドでも、黒檀は神聖なプージャー(礼拝)に使われることがありました。
ヒンドゥー教では特定の女神(カーリー女神など)に黒色が捧げられることがあり、
黒檀の粉で描いた護符や、黒檀の木片を寺院に奉納する風習も一部にあります。
タミル語圏では黒檀を「カルンガーリ(黒い樹)」と呼び、悪霊払いの木として家の軒先に黒檀の葉や枝を吊るす習慣も伝えられました(南インドの民俗信仰)。
また、インド仏教・チベット仏教では法具に黒檀が用いられる例が見られ、
特に真言やマントラを唱える際に用いる法具(独鈷杵など)の柄として黒檀が選ばれることがありました。
硬質で朽ちない黒檀は不変不滅の象徴とも重なり、宗教的なシンボルとなったのです。

ヨーロッパや中東では、黒檀は直接宗教儀式の中心となることは少なかったものの、その魔術的役割が広まりました。
中世ヨーロッパの魔術書には「黒檀の杖」が登場します。
占星魔術や精霊召喚の場面で、黒檀の杖や箒が邪霊を払うアイテムとして記述されることがありました。
例えば14世紀の魔法書『ソロモンの小さな鍵』の一版では、円陣から悪魔を追い払うのに黒檀の棒を用いるとされています(他の版では柏の棒などに変わるので一説ですが)。
また、イスラム圏の一部では黒檀を火で燻した煙がジン(精霊)除けになるという俗信も報告されています。
黒檀の香を嗅ぐと邪悪なジンが近寄らないというもので、
砂漠の夜に黒檀の粉を焚いて馬や人を守ったというベドウィンの話も伝わります(信憑性は定かでありませんが、それほど黒檀に魔除けのイメージがあった証左でしょう)。

さらに、黒檀は埋葬・葬送の場でも霊的役割を果たしました。
古代エジプトでは、黒檀はヌビアからの貢物として法老の棺や墓室の家具に使われました。
ツタンカーメン王の墓からも黒檀製の椅子や箱が出土していますが、
エジプト人は黒檀に「西方の異国からもたらされた神秘の木」というイメージを持っていたようです。
死者の魂を護る効果を期待して棺に黒檀をあしらったとも言われます。

中国でも前述のように黒檀の棺は高貴な人向けで、遺体が朽ちず安寧に保たれると信じられました。
日本でも江戸期に肥前鍋島家で黒檀の棺が用いられた記録があり、
その際「黒き棺、魔を閉じ込め霊魂を極楽に導く」といった言い伝えが付されたと伝わります(逸話の域ですが)。
このように死後の世界でも効力を持つ木と考えられたことが、黒檀の宗教的権威を高めました。

最後に、黒檀にまつわる毒消しの伝説も宗教・呪術の文脈と関係します。
上述の「黒檀の杯」の話は、科学以前の時代には半ば信仰のように受け入れられていました。
キリスト教圏では「神が与えし万能の護り木」として黒檀の杯や十字架が語られ、
イスラム圏でも「アッラーが黒檀に毒を見分ける力を与え給うた」という民話が存在します。
このような伝説・物語が黒檀の呪術的イメージを膨らませ、人々に万能感を印象付けたのです。

黒檀が「万能薬」と呼ばれた理由

以上のような多方面での利用と信仰により、黒檀は時代と場所を超えて「万能薬(パンacea)」的な扱いを受けました。その理由を整理すると、主に次の点が挙げられます。

  1. 多様な疾病への効能伝承: 黒檀は胃腸病から伝染病、眼病、皮膚病、呼吸器病に至るまで幅広い疾患に効くと信じられてきました。
    中国での解毒・コレラ治療、インドでの整腸や創傷治癒、アフリカでのマラリアや梅毒治療、欧州での眼病・咳止めと、
    まさに全身のあらゆる病に対応するかのような効能が各地で語られたのです。
    その結果、「黒檀さえあればどんな病も治せる」というイメージが醸成されました。
  2. 解毒剤・厄除けとしての卓効:
    黒檀は特に毒消しの万能薬とみなされました。
    毒を中和・排除するという効果は、病気全般を制する鍵と考えられ、
    「万病のもと」である毒を制する黒檀はイコール万能薬という図式が成り立ちました。
    例えば黒檀があれば食中毒も疫病も防げる、
    邪悪な霊(これも一種の毒と捉えた)も寄せ付けない、という発想です。
    あらゆる悪しきものを祓うという点で万能の護符であり薬と考えられました。
  3. 霊的パワーへの信頼:
    前述の宗教・呪術的利用からも明らかなように、
    人々は黒檀に物質的効能のみならず霊的加護を期待しました。
    病気平癒には信仰的側面も大きかった時代、霊力ある木であればどんな難病も治せると信じられたのです。
    黒檀は神秘的な黒色と腐らぬ性質から「神が宿る木」「聖樹」とされ、
    その樹霊の力が病魔をも退散させると考えられました。
    結果、「霊験あらたかな万能の妙薬」と呼ばれるようになったのです。
  4. 希少価値と伝播の妙:
    黒檀が産するのは主に熱帯地域で、昔は交易によってもたらされる貴重品でした。
    希少で高価なものには往々にして過剰な期待が寄せられます。
    黒檀の場合も、王侯貴族や裕福層のみが得られたことから「貴人の万病薬」という権威が付きました。
    中国のことわざ「家に黒檀半片あれば財宝一箱に勝る」は、黒檀の経済価値とともに健康・魔除けの価値を謳ったものです。
    さらに各地の伝承が交易路を通じて混じり合い、「○○国では黒檀が奇病を治した」「○○の王は黒檀で不老長寿を得た」といった物語が広がりました。
    その国際的評価が相まって、黒檀は世界的な万能薬の評判を得たのです。

以上の要因によって、黒檀は単なる木材以上の「伝説の薬」となりました。
しかしながら、近代以降の科学的検証では、黒檀自体に顕著な薬理作用は確認されていません。
現代の医学から見れば、黒檀の薬効は炭や繊維による整腸効果や微量の抗菌作用程度で、
万能薬と呼べるものではないと考えられています。

たしかに今の科学の目から見れば、黒檀にははっきりとした薬効があるとは言えないかもしれません。
実際、中国でも「黒檀(烏木)の薬用価値は日ごとに薄れている」とされ、
いまではもっぱら工芸品や観賞用として親しまれています。

それでも、黒檀が長い時代を通じて、人々の間で「どんな病にも効く」と信じられてきたことには、
やはり無視できない重みがあります。
たとえ証拠が見つからなくても、そう信じられてきたという事実そのものが、
何かを物語っているように思えます。

「火のないところに煙は立たぬ」という言葉がありますが、
黒檀をめぐって世界中で語られてきた数々の言い伝えや祈りには、
まだ解き明かされていない何かが潜んでいるのかもしれません。

それが本当に効き目なのか、ただの思い込みなのかはわかりませんが、その余白を残しておくことは、
かつての人たちが感じていた未知への畏敬や未踏へのロマンに触れられる小さなきっかけになるのかもしれません。

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